科学的探究を次のステージに 量子シミュレータチャレンジ

建物や道路が立ち並ぶ都市の上空からの眺め

Technology News | 2024年3月19日

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はじめに

量子コンピューティングの計算能力は、材料工学から製薬や金融に至るまで、多くの産業を根本的に変革し、企業と社会の両方に価値をもたらす可能性を秘めています。

2進数という「0または1の2つの数字」のみで考える従来のコンピューティングとは異なり、量子コンピューティングでは、同時に「0と1を重ね合わせた状態」も表すことができる量子ビット(Qubit)が使用されます。これにより、量子コンピュータは従来のコンピュータよりもはるかに高速にさまざまな計算を実行できるようになり、より複雑な問題を解決できるようになります。

現時点では、いくつもの重大な技術的課題が残っているため、真に実用的な量子コンピュータが実現されるのはまだ数年先のことになります。また、現在の技術レベルでの量子コンピュータはあまりにも複雑なため、運用が困難で実用には適しません。

しかし、量子シミュレーションが利用できるようになったおかげで、企業はすでに量子コンピューティングの問題解決能力を活用できるようになっています。

量子シミュレーション

量子シミュレーションは、実用的な量子コンピュータが利用可能になった時と同じだけの価値を企業に提供できます。量子シミュレーションでは、量子コンピュータと同じ原理を利用して、従来のバイナリ型のコンピュータのパフォーマンスと効率性を向上させることで、複雑な問題を解決します。

量子シミュレータのおかげで、多くの企業が複雑な問題を解決することに既に量子の手法や原理を活用し始めています。富士通は、量子コンピュータを開発するリーダー企業の1社であるだけではなく、量子現象に着想を得たコンピューティング技術を開発するリーダー企業でもあります。

そして、富士通は量子シミュレーション技術のパイオニアでもあり、「A64FX」プロセッサーを搭載したスーパーコンピュータ「FX700」512機で構成される39量子ビットの状態ベクトル型の量子シミュレータを開発し、提供しています。量子シミュレータには、大阪大学とQunaSys社が開発した世界最高速の量子シミュレータソフトウェア 「Qulacs」 を利用し、更に 「Qulacs」を拡張して並列分散環境で稼働するようにしています。

富士通は、クラスタシステム上でMPI (Message Passing Interface) を利用する技術と、 SVE (Scalable Vector Extension) 演算を用いてメモリ帯域幅を最適化する方法を開発しました。更に、富士通では、量子コンピュータソフトウェアの代表的な開発ツールであるQiskitに一部対応したソフトウェア開発キット (SDK) を用意し、量子ソフトウェア開発者にとって利便性の高い開発環境も提供しています。

競争優位の獲得

量子シミュレーションは、問題解決にあたっての量子コンピューティングの優位性を企業が現時点で活用できるようにするという重要な役割を果たしています。同時に、将来の真の量子コンピュータの到来に向けた準備を支援する役割も果たしています。

企業は、既存ハードウェア上でエミュレーションを実行し、新しい価値を創出する量子ベースのソリューションを開発できるようになりました。真の量子コンピュータが利用可能になると、これらの企業はシミュレータから真の量子コンピュータハードウェアにすぐに移行し、量子が提供する強大なパワーとパフォーマンスを最大限に活用できるようになります。

量子ソリューションを開発するには、かなりの時間を要する可能性があります。そのため、量子シミュレータを使用してソリューションを開発することで、量子コンピュータが利用可能になるのを待って独自の開発を開始する企業よりも、競争優位を獲得することが可能となります。
富士通は、量子シミュレーションを可能にする現在のハイパフォーマンスコンピューティング (HPC) システムだけでなく、将来の実用的な量子コンピュータの開発にも積極的に取り組んでいます。富士通は、両方のアーキテクチャを同時に研究開発することを通じて、現在から将来に渡って継続的にお客様を支援し、量子コンピューティングの導入メリットを最大化することを目指しています。

富士通量子シミュレータチャレンジ

富士通は、量子シミュレーションのイノベーションを促進するため、産学を対象とした 「Quantum Simulator Challenge」(量子シミュレータチャレンジ)を2023年2月に開催しました。

「Quantum Simulator Challenge」では、入賞者に対して合計10万ドルの賞金と、イノベーションを市場にもたらすための富士通とのパートナーシップの機会が提供されます。さらに、富士通や富士通のベンチャーキャピタル・ネットワークからの投資機会を得ることができます。

また、富士通の量子の専門家によるサポートやトレーニング、今後開催されるFujitsu ActivateNow Technology Summitで紹介される機会を得られるなど、さまざまな特典も用意されています。

参加チームと研究テーマ

「Quantum Simulator Challenge」では、以下のようなさまざまな課題に対処するために、どのように量子シミュレーションを活用できるのかを検討している国際色豊かなチームがアカデミアや企業から参加しました。

  • クレジットカードの不正利用の検出
  • 流体力学のための量子アルゴリズム
  • スマートシティの課題解決のための量子ファジー推論エンジン (QFIE)
  • 分散化されたエネルギー資源の最適化問題
  • 高度にパーソナライズされたポートフォリオの最適化
  • 偏微分方程式によるマルチフィジックス・エンジニアリング
  • アルツハイマー病の診断と管理
  • 抗マラリア薬の発見
  • 組織病理学的癌の検出
  • 金融市場シミュレーションにおけるスプリットステップ量子歩行 (MSQW)
  • 格子ボルツマン法 (QALB) のための量子アルゴリズム
  • 新しい多体物理のための巨視的量子トンネル現象 (MQT)
  • 量子ロバストフィッティング (コンピュータビジョンとパターン認識)
  • ランダム測定による大規模システム上のRenyiエントロピー
  • 量子メモリと安定性の実験
  • MPI Qulacs シミュレータへの試験的アクセス

受賞チーム

第1回「Quantum Simulator Challenge」は、さまざまな業界や組織に量子シミュレーションが、すでに提供できるメリットと可能性を確認する機会となりました。

富士通は、すべての参加者から提供された量子シミュレーションの成果の並外れた品質に大いに感銘を受け、優勝者含めた受賞チームの選択は困難な作業となりました。

富士通の量子シミュレータの機能を活用することで、参加者はシミュレーション時間とパフォーマンスの大幅な高速化を実現し、多くの興味深い洞察を提供し、量子コンピューティングの可能性を明らかにしました。

厳正な審査の結果、優勝チームにはフィンランドのQuanscient OYが選ばれました。 そして、英国ケンブリッジと米国マサチューセッツ州ケンブリッジのチームが参加したRiverlaneが僅差の2位となりました。また、インドのQkrishiとイタリアのフェデリコ2世ナポリ大学が3位という結果でした。

参加チームのみなさまには、多大なる貢献と積極的な参加に心から感謝申し上げます。私たち富士通は、今後も継続的にみなさまとコラボレーションし、量子コンピューティング技術の発展に貢献していきます。

受賞チームの研究内容

1位 Quanscient OY(フィンランド)

液体、気体およびプラズマの運動を研究する流体力学は工学、医学、エネルギー、航空宇宙などの幅広い分野で重要な学術領域です。Quanscientは流体力学の研究において、流体の運動をより的確に予測するモデルを構築するために、量子シミュレーションをどのように活用できるか研究しました。

本研究では移流拡散方程式とNavier Stokes方程式のための1次元および2次元の量子アルゴリズムをシミュレータバックエンド上に実装し、実行時間と格子サイズによるゲート数の増加を解析しました。シミュレータバックエンドは効率的で、約33 qubitsの1次元ADEアルゴリズムと28 qubitsの2次元ADEアルゴリズムの1時間ステップのシミュレーションを実現しました。これにより、アルゴリズムに関する貴重な洞察が得られました。シミュレーションをqiskit‐aerバックエンドで実施し、解析解と比較した結果、最初の時間ステップである程度のずれが生じましたが、これは量子アルゴリズムそのものが原因ではなく、微分方程式を解くために数値解析を行う場合に、よく起こる解像度の低い計算メッシュが原因であることが分かりました。

1次元移流拡散方程式とNavier‐Stokes方程式に対する量子格子ボルツマン・アルゴリズムは、量子計算の革新的な技術を用いた、複雑な流体現象のシミュレーションの新たな一歩となります。これらの量子アルゴリズムを評価することは、入手できる量子ハードウェアの多様性が増し、効果的なアルゴリズムの実装が求められる現状においては重要性が高まっています。この研究では、30Qubit以上の量子アルゴリズムを評価する際の富士通シミュレータの速度と効率に関する優位性が示されました。

2位 Riverlane(英国および米国)

量子コンピュータの開発における最大の課題の1つは、量子ビットが容易に量子状態を失い、量子計算の安定性を維持することが難しくなることです。

このため、より高度な量子誤り訂正技術を開発することが、大規模で実用的な誤り耐性型量子コンピュータを開発するための鍵となります。Riverlaneは量子シミュレーションを利用して、量子誤り訂正技術の開発に貢献しています。

量子ビット部分空間からの漏洩は、量子誤り訂正を行う上で脅威となるノイズ源になります。このプロジェクトでは、富士通の状態型ベクトルシミュレータを使用して、漏洩を伴うコヒーレントノイズモデルの下でQEC安定性実験のシミュレーションを実行しました。安定性実験におけるこのような詳細なエラーモデルのシミュレーションは革新的です。彼らは量子ビット部分空間からの漏洩の被害を制限するために、いくつかの 「漏洩低減ユニット」 を提案しました。また、彼らは MPI Qulacs内でキュートリット(qutrit)を計算する方法を開発し、富士通シミュレータのより高次元のシステムへの適用の可能性を示しました。

3位 Qkrishi (インド)

金融分野は量子コンピュータの実用化における、主要なマーケットの1つになると予想されています。インドのQkrishiはクレジットカードの不正利用の検出に焦点を当てて、金融分野における量子シミュレーションの導入を検討しました。

Qkrishiは、金融詐欺を検出するため、量子機械学習モデルを実装した富士通のシミュレータを利用して、「Sequre」というソフトウェアアプリケーションを開発しました。Flaskライブラリで構築されたバックエンドはAmazon Web Services上にホストされ、セキュアなレイヤを介して富士通サーバと通信します。富士通サーバ上でモデルの学習プロセスを実行し、モデルの分類結果を集計して、ソフトウェアのユーザーインターフェイスに反映することができます。ユーザーインターフェイスには、最新のReact要素と広範なダッシュボードが用意されています。ユーザーは、このダッシュボードを使用して不正検出の結果を可視化できます。また、モデルの学習ジョブを実行し、ダッシュボードに結果を自動的に発行する機能も提供されています。フロントエンドのダッシュボードには、コラムの値に基づく結果のフィルタリングなどのデータ可視化機能が含まれています。

Qkrishiは量子サポートベクトル分類器 (QSVC) 、量子カーネル学習(QKT)を伴ったQSVC、自動QSVC、QSVCとSVCのアンサンブル学習、古典的SVCなど、多くのモデルを評価しました。その結果、自動QSVCモデルがそのほかのモデルを上回り、高い精度と再現率で不正行為を検出でき、最高のパフォーマンスを示すことがわかりました。その顕著なパフォーマンスの結果から、不正検知の信頼性と有効性を担保するロバストな不正検出のためには、自動QSVCが好ましい選択となります。「Sequre」は卓越したパフォーマンスと直感的なユーザーインターフェイスによって、不正検出の分野において大きな進化を示しました。最適化自動QSVCアルゴリズムと富士通のシミュレータ機能を利用することで、彼らはIBM量子ハードウェアの能力を上回る、実行時間とパフォーマンスの大幅な高速化を証明しました。

3位 フェデリコ2世ナポリ大学(イタリア)

都市化の進展の中でより持続可能な生活を実現するために、交通、エネルギー、廃棄物管理、公共安全などの主要なインフラとサービスの管理を改善するためのスマートシティの開発が推進されています。しかし、スマートシティを構築するために必要なセンサーやシステムは、膨大な量のデータを生み出し、スマートシティを円滑に運営するための意思決定をサポートするためには、頻繁にほぼリアルタイムで安全にこれらのデータを処理する必要があります。

フェデリコ2世ナポリ大学は、スマートシティのデータ分析と意思決定を強化するために、量子シミュレータ上で実行されるファジーロジックに基づく量子ファジー推論エンジン (QFIE) を使用した研究を行いました。QFIEをスマートシティの3つの典型的な事例である、WSNにおけるセンサノードの位置決めプロセスのALE、エネルギー効率の予測、交差点制御システムに適用し、すべての事例において QFIEが古典的手法よりも高い性能を達成することを確認しました。

フェデリコ2世ナポリ大学のチームが発表した、新しい量子アルゴリズムQFIEは、量子コンピュータ上で解釈可能なファジーシステムの実行を可能にし、古典的なコンピュータで使用される標準アルゴリズムと比較して、ファジーなルールの評価において指数関数的な計算における優位性を提供します。計算上の利点の背景として、QFIEが言語による量子計算のプログラミングを可能にするほか、高度な量子計算を単純化していることが挙げられます。 

量子シミュレーションの導入を検討すべき組織

早期に量子コンピューティングを導入することで、最も恩恵を受けるのは以下の分野に属する企業だと考えられます。

  • 製薬とバイオテクノロジー
  • 金融と投資
  • 暗号化とサイバーセキュリティ
  • 材料工学と化学
  • サプライチェーンと物流
  • モデリングとシミュレーション
  • 航空宇宙と防衛
  • 電気通信
  • 交通
  • 人工知能と機械学習

これらの分野に属しながらも、実用的な量子コンピュータが利用可能になるまで、量子ベースのソリューションの開発を待つような企業は、業界の変化に追従できなくなる可能性が高くなります。

量子コンピューティングが組織にもたらすメリット

量子コンピュータは、今日の従来型コンピュータを直接的に置き換えるものではありません。企業は、当面の間、日常的なコンピューティングのために、従来型コンピュータの利用を続けるでしょう。同時に、今後、量子システムが持っている問題解決の計算能力を必要とする組織では、量子コンピューティング技術がますます活用されるようになっていきます。量子コンピュータは、次の5つの主要な活用領域において企業にメリットをもたらすことができます。

1. データ分析の高度化

量子コンピューティングは、従来のコンピュータよりも高速なデータ分析を提供し、企業向けの大規模なデータセットのリアルタイム処理を可能にします。これにより、より良い意思決定と市場への迅速な適応が実現されます。例えば、お客様の傾向を明らかにし、企業が製品やサービスをより効果的に需要に合わせて調整するのに役立ちます。

2. 新たな発見やイノベーション

量子コンピューティングは、膨大な複雑データの分析で時間のかかる現代の創薬などにおけるプロセスの加速とコスト削減により、幅広い科学分野を変革します。

3. 予測とシミュレーションの強化

量子コンピューティングの速度と能力を利用し、複数のソースからの膨大なデータを分析することで、気候変動や気象予測などの複雑な予測モデルやシミュレーションモデルを大幅に改善できます。金融市場では、多くの変数に基づいて、より迅速でより深い洞察、そしてより正確な予測を通じて、競争上の優位性を提供します。

4. 最適化

量子コンピューティングは、製品設計の改善、リソース使用率の削減、サプライチェーン・ロジスティクスの最適化によって、より効率的で持続可能な製品とビジネスの開発を支援します。

5. 量子暗号化

量子もつれや量子重ね合わせなどの量子力学の特性を使用して、解読不可能な量子ベースの暗号を開発し、サイバーセキュリティの状況を変革し、企業や政府が高度な脅威から機密情報や重要なインフラストラクチャを保護できるようにします。

結論

企業は量子シミュレーションを活用することで、数多くの量子のメリットを現時点で得ることができます。また、量子ハードウェアが登場した時にも、その能力を最大限に活用できるように準備することもできます。これにより、量子ハードウェアが利用可能になるまで、開発を遅らせる企業よりも競争上の優位性を得ることができます。

富士通は、量子シミュレータ、量子コンピュータ、量子現象に着想を得たコンピューティング技術のいずれにおいてもリーダーの存在です。お客様が量子コンピューティングを最大限に活用するために、どのように支援できるかについてご相談ください。

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